無料ブログはココログ

2017年5月14日 (日)

家事から離れることがプチリッチ

家族3人で朝御飯に出かけた。

下の娘が大学生になり、「もう、自分のことは自分でせよ」と、負い目なく言えるようになった。娘にとって同世代の人は、仕事に就く者あり、親元を離れ自活する者もある。これまでのように、何から何まで親がかりでは、甘やかしである…というのが親側の主張だが、実際は、我々親側も、ますます掛かる学費に合わせて仕事を増やし、「休みの日くらい楽させてくれよー」と言いたいのである。

が、何気にその気配を察する娘は、「明日の朝、私もついていく」とアピールしてくる。
高くつきそう…

ともあれ、3人の朝外食。私にとっては贅沢なものだ。以前から気になっていたすかいらーくが経営する、「むさしの森珈琲店」に行ってみた。

その店に着くまでは、途中、「コメダ珈琲店」があり、「デニーズ」、「マクドナルド」もある。ふと思ったのだが、半年前に見かけたときより、コメダもデニーズも朝食客が少ない。どちらもクルマや自転車で行くような店だから、駐車場を見れば丸見えのようなもの。

まさか…と思いつつ、それらの店から200メートルほどの「むさしの森珈琲店」に到着すると、途中で見かけたライバル店のどこより、クルマもチャリも多い。オープンして数カ月だろうが、とりあえず、朝の時間帯としては地域一番店になっているようだ。

中に入って思ったのは、コメダやデニーズ、マックにない工夫を、後発ゆえにうまく取り入れているということだ。

ゆったりとしたテーブルとチェアからは木製のいい香りがする(まさかアロマということはないよね)。質感もいい。安普請の感じがあまりしない。

店内には、ぐるりと、いったい何十種類あるのだろうという他種類の雑誌類。ファッションや料理、ナチュラルライフなど、ジャンルが広く、子ども向けの絵本もあった。囲まれているだけで、贅沢な気持ちになっちゃう。

そして、ここが一番違った。客層が若いのだ。若いファミリーが多く、デニーズ、ガストで多く見られる、子どもが巣立って時間があるだろう中高年が主役ではない。

メニューは、正直言って、ちょっとお高い。単価は700円くらいだろうか。だけど、トーストのバターがたっぷりだったり、コーヒーは2杯分あったり、付け合わせの野菜にルッコラや水菜など、レタスやキュウリの姿がないなど、ちょいとお洒落で納得してしまう。家ではなかなか実現できない、プチリッチさを、しつらえやメニューから、感じさせていることがいいのだと思う。

子どもたちの元気な声が響いて、静かでゆったりといった雰囲気とは違うけれど、子育てに仕事に忙しい母たちはきっと気分転換になっているだろう。子どもたちがあのくらいの年頃は、朝ご飯はマックに行くくらいしかなかったなぁ。

自分の子育て期に比べて、変わらずに、いやそれ以上にママたちは忙しくなっていると思う。子どもに手がかかるのは相変わらずだし、部活やら塾やらPTAやら、親の負担は軽減傾向にあるものの、だからといってヒマにはならない。子どもにかかるお金は、増えても決して減りそうになさそうだから、仕事もしなくちゃと思うし、ラインやSNSなんかの人づきあいも、楽しいながらもけっこう時間をとるものだ。

ときには気分転換、日常の家事からちょっと離れてリフレッシュ。
自分もそうだけど、仕事を増やして稼ぎも少し増えると、がんばっている自分のリフレッシュ代に、少しくらいと、財布のひもは緩む。気付けば、以前には買わなかったお総菜をときどき買ったり、ちょっと高めの野菜はフルーツ、肉など、少しずつプチ贅沢に手をのばしたり、余分な雑誌を買ったり…。

政府が推進する女性活躍のスローガンは、よく働き、よく使え、いろいろな産業にお金を循環させよというメッセージでもあるんだろうナ。

ああ、今日ものってしまった。

2015年7月 9日 (木)

健康は、自分で作り出すもの

年に一回の歯科検診に行ってきた。

検診は、どうしてこんなに毎回気が重いのだろう。予約を入れるのにエネルギーが要る。幸いに大きな問題点はなく、行ってよかったと、これほど心が軽くなるものもない。ほっとしたのと同時に、歯科医である友人の話が、とても印象に残った。

女性は、閉経したあと、骨が弱くなりやすく、歯も影響を受けやすいこと。

歯の健康には、バランスの取れた食事や適度の運動が大切なこと。

そして、適度に日光に当たることが、歯にも大切だということ。

歯をきちんと磨くということはよくわかっているつもりだけれど、もっと生活全体、そして人生全体を見渡して、自分の健康を考える機会が大切だなぁと思う。

つい先日、ニュースで、いまの若い女性の栄養摂取量が、食料不足だった終戦直後の状態より悪いと知り、いったいどうなっているのかとびっくりした。痩せ願望が、ますますエスカレートしているようなのだ。痩せて美しく見られたいという気持ちはわからなくはないけれど、けれど、けれど…なのだ。

いま更年期という、自分では抗えない自分の体の変化に向き合っている身としては、いかにここから、人生後半の約30~40年間に健康をキープするかが大切なテーマだ。更年期だけでなく、思いもかけないことで体を傷めたり、体力が落ちていたり、体の衰えを実感するのは日常茶飯事。

あと30~40年って、けっこう長いものだ。それを、若い時期に健康をそこねるような体の作り方をしてしまったら、女性の人生の後半、いやいやその前に、出産や授乳という自分ではコントロールしようのないイベントのときに、ベストの状態に持っていけなくなる。

若いときのコンプレックスは辛いものだけれど、無理することでそのあとに取り返しがつかないことが起こる可能性があることを、きちんと教えなければいけないんじゃないだろうか。

結婚しているもののキャリアを優先して子供を産むことを40歳以降に人生設計している人の高齢出産や不妊問題が話題になったとき、私はとても違和感を持った。自分の体であっても、予定どおりに妊娠するか出産できるかは、本人だってわからないことなのに、どうして予定通りにいくと思えるのだろう。周囲に数人は不妊の悩みを持つ人がいるものだ。そういうことを知れば、妊娠は20代で健康だからといって、自分の望むようにいくものではないと学ぶと思うのだけれど。

結局は、自分で考える力や、疑問に感じる力が育たないと、周囲の価値観に振り回されてしまう。

友人も、多くの人は、日光に当たり紫外線を浴びるのは体に悪い、皮膚ガンになりやすくなる、シミができるから悪とすぐ思ってしまうらしいと言っていたが、実は私もその中のひとり。実際は、極端な場合や、人種的に日光に弱い場合は注意が必要ということらしい。

根拠もよくわからないまま、常識と思い込んでいることを考え直す必要が、いろいろな面でありそうだ。健康は自分で守り、維持していくものだと思うから。

2015年7月 7日 (火)

日本料理、ガラパゴス化と呼ばれる中で

和食が世界文化遺産に認められたのはよいことなのだと思うが、それ以来、混乱が深まるばかりのことがある。

世界文化遺産で言っている和食と、

家庭料理で言っている和食と、

日本料理屋さんで言う和食と、

最近の海外での和食ブームの意味する和食があって、

どれもが和食なんだけれど、あまりに範疇が違う。

私が感じるところでは、

世界文化遺産の和食→一汁三菜

家庭料理の和食→おばぁちゃんぽい昔からの料理

日本料理屋さんの和食→会席、もしくは懐石料理

海外の人から見た和食→懐石、会席、すし、そば、うどん、カレー、とんかつ、やきとり、天ぷら、牛丼…

形式や、食材、料理法などの特徴が、あっちゃこっちゃでからまり合っているから、どれもが和食ともいえるし、決め付けるには不自然でもある。

だけど、そろそろ使い分けが必要ではないかしらん。

新聞やネット記事などで「和食が人気」と書かれていると、それは海外のラーメンやとんかつ。「和食の未来は厳しい」と書かれていると、高級日本料理としての和食。

同音異義語と同じで、前後の文脈で内容を判断している感じ。きちんと定義づけしていかないと、どんどん収拾がつかなくなりそうだ。

いまミラノ万博の日本館では、会席料理としての日本料理を提供しているようだ。値段が高いと訪れる人に言われつつも、「そういうもの」と認められ、評判もそこそこらしい。同時に、日本館では、カレーとかラーメンも、和食として紹介されている。ここでは、外国人からの目線による定義として、和食とは、日本で食べられている日本オリジナルの料理と定義されているのだろう。

しかし、いま人気があって元気のあるラーメンやすし、すきやきといった和食は、世界文化遺産の和食、一汁三菜とはかけ離れていないか?! 一汁三菜の形式を重んじて提供する懐石料理は、ほとんどの日本人、食べたことがないんじゃないか?そしてガラパゴス化しているといわれても反論できないんじゃないか?

日本人にとっての和食を、現実的な意味で定義しないと…

それにしても、世界遺産って、本来の意味よりも、それでひと儲けしたい人が欲しくて仕方ないお墨付きみたいになっちゃって、あんまり増やすのもいかがなものか。


2015年6月29日 (月)

平塚 樹勢にて

年齢が増すごとに、「やっぱり和食」と思うようになるのはベタな話。ちゃんとそのレールに乗っかっていることは、健全な自分の老いだ。

年齢を重ねたからこそ得られた、価値ある感覚のひとつだ。

年齢が上がることでわかるもの、見えてくるもの、許せるようになるものがある。個人によってその広がりや理解の程度は違うけれども、以前の自分だったらわからなかったなと思うことの代表格が、私にとって和食だ。味も器も文化も居心地も。

いつの間にか、あんなに物足りないと思っていた豆腐や白身魚を、ゆっくりじっくりと味わうようになり、旬のものの登場に耳を傾けるようになっている。苦味とか渋味も、季節の恵みと楽しむようになった。それは同時に、日本酒の楽しさも連れてくる。

楽しんだ食材は、岩ガキやハモ、カジキマグロ、じゅんさい、イカの塩辛、枝豆、ヒラメ、スズキ…

Cimg3252_2

Cimg3254_2

初めてのお店ではどこか落ち着けなかったカウンターで、そんなに肩肘張ることなく、大将やおかみさんと話ができようになってる。

おかみさんの下駄のカラコロという音が、BGMのない店で軽やかに響き、それがなかなかいい感じ。

できれば、お椀が頂きたかったが、メニューやコースに入っていない。そういう割烹店もあるのだな。

ゆっくりと楽しみ、連れも満足。私に比べて日本料理を楽しんだ経験はほとんどないけれど、出された料理がどれも、大衆的な居酒屋さんや、スーパーマーケットでちょっとがんばって買うものと段違いであることをすぐ理解していた。

そうした食の楽しみを、これまでだったら贅沢として縁遠く考えていたけれど、刺身ひとつ、焼き物ひとつ、料理人の食材選びと技術があってこそのもの。

湯木貞一さんの著書に、“食道楽は数ある道楽の中でもささやかな方だ”という内容の記述があったのだと思うけど、ウン、楽しむ力がつき、余韻もこんなにあるのなら、楽しむときが来たのかも知れない。

2015年6月16日 (火)

スーパーへのクレーム

袋買いしたキュウリが、切ってみると5本全部中が白い。要は古くてボクボクしていて、とても使う気になれない。
ハラが立った。
どうしてこんな古いキュウリを売るんだろう。
あの、たくさん売っていた袋売りのキュウリは全部おかしいもので、私だけじゃなく、他の人も怒ってクレームの電話が相次いでいるのではないだろうか。

そんなことが思い浮かんだけれど、そのスーパーではこれが初めてだったことと、野菜一袋でいちいちめくじら立てているのも大人気がなく思い、スーパーがちょっと遠かったこともあって、どうするか困った。

たぶんお店は、レシートと現物を出せば、返金とか交換とかしてくれるだろうと思う。そういう時代だから。客の利益が最大に優先されるものと、これは相手方の落ち度と思う人が大半だろう。

だけど、今日、ある本を読んではっとした。
いまドラマで話題の、秋山徳蔵氏のエッセイ。
その中に、こんな文章があった。

(魚にしても野菜にしても、)「きりょう」は味以前のものだ。みるからに美しい生き生きとした色…いかにもそのものらしい、すなおな姿…この評価に合格しないものは味わってみなくてもまずいにきまっている。…家庭の主婦でも、ものを見ることに真剣な人には、どこがどうということなしに、カンでわかるはずである。(「味の散歩」19pより)

店側が悪意を持って悪い商品を置いているわけではない。工業製品ではないのだから、アタリハズレもあるだろう。だけど売る側としてそういう中でよい商品を選んで並べるのがスーパーとして当然という考えがあった。

でもまず、自分に野菜を選ぶ力がなかったことがすっぽ抜けていた。私は、キュウリの器量を真剣に見ていなかったからだ。さっと手にとって、ろくに見ずにカゴに入れたのだ。

プロの料理人が食材を選ぶ目と、主婦の目はもちろん同じではない。でも、限られたお金で、少しでもよいものを手に入れたいと選ぶ気持ちの根っこは同じだ。

権利という意識を当たり前に思ってしまうと、自分に落ち度があることやレベルの低さを隠してしまう。だから、自分の中で困ったのだ。そして、だから、権利意識いっぱいにクレームを言う人の顔がどこか好きではないのだ。

真剣に選んだものや選びようのないものに問題があったら、そのときはきちんと伝えようと、私の中で基準ができた。

2015年6月11日 (木)

同窓会にて 理系男子のその後

FBで連絡を取るようになったことがきっかけで、高校時代の同窓生と、10人ほどで集まった。

中には、高校時代にヒトコトも話をしなかった人、イマイチ記憶が飛んでいる人もいたのだけれど、同じ場所で同じ空気を吸った間柄か、共通の話がザクザク出てきて、あっという間に打ち解けることができた。

とりわけ、理系男子で目立たなかったタイプの男子たちの豹変ぶりが衝撃的だった。

当時はシャイで、ちょっとイケてなかった感のある彼らが、仕事でもまれ、全国を動いて行動力をつけ、家庭では奥さんに鍛えられ、体を鍛え、話題豊富で饒舌で気配りのあるミドルエイジに変身している。

理路整然とした話しぶり、気配りぶりは、これが高校時代だったら、きっとモテたであろう資質だ。あのときは気付かなかったなぁ。みんなヒョロヒョロだったし。

彼らによると、女子のいない理系クラスの2年間は、ひたすらわびしく、楽しみが少なく、カッコつける目的もなく、クラスの連帯感もなく、同窓会に行ってもクラス単位の席では暗いだけで辛い思い出ばかりだそうだ。半分ホロリとさせられつつも、いまでは抱腹絶倒のネタばかり。

今日はスゴく楽しそうだよ、きっと、こういう再会を存分に楽しむために、あのときのジレンマがあったんだよなんて、なぐさめにならないけれど、しっかり挽回してる!

自分だって、十代の頃の自分が、いかに行動半径が狭く、思い込みに満ちて、いろいろな人と知り合いになろうという思っていなかったことか。お互いトシとったと思いつつ、再会を喜び、お互いの変化を認め合い、再び友人としてやりとりできる機会を得たことは、ずっとほしかったものをサプライズでもらったようなものだ

みっともない失敗が多くて、自己嫌悪が多かった高校時代だけれど、高校時代にとりこぼしたことを、いま、少し笑いながら拾える気がする。

2015年6月 2日 (火)

脱ストレス太り

本来は食事って楽しいはずなのに、バランスとか栄養とか家族の好みとか考え過ぎて、好きなものをおいしく食べるという発想が抜け落ちてました。

いつも食欲があるというのは、それはそれで才能。食欲がなくてお茶漬けで済ませたいシーズンが年に何回かあると、その時期の食事づくりは苦行になってしまいます。

ローテーションを決めて献立を決めたら、自分はどうであろうまずそれに沿って作ればいいので、イライラが減った分、多少の余力が生まれて「ならば自分には、最高のお粥でも作ろう」と最近は思うようになってきました。スーパーでも、ちょこっと自分好みのものを買っちゃったり、デパートでお土産選んだり。

ごくフツーのことだと思うのですが、どうにも長いことできなかった行動です。

自分の取り扱いが下手で、がんじがらめの自分を思い出すたびに呆れますけど、それも実際のこと。未熟な部分だらけで、それなりにがんばってきたんだなって、ちょっと労わってあげたいかも。

で、自分へのご褒美が過ぎて、最近からだが重いなぁって思ったら、オーバーウェイト!もうcrying!!

2015年5月27日 (水)

自分の価値観が、献立ストレスを生み出していたらしい

沢村貞子さんの「わたしの献立日記」を読むと、気持ちが前向きになります。

日々の献立のメモとエッセイの構成で、料理は和食中心のシンプルなものばかりだけど、季節感と食べ物の鮮度の気配を感じる内容に、品数や料理のレパートリーの広さではない、食卓の豊かさがにじみ出ています。写真はなし。料理写真はないのです。文字だけです。

料理は、同じものが毎週のように出ていたり、素材はそんなに種類が多いわけでもなさそう。和食中心でバリエーションが豊富というわけではありません。だけどどうしてこんなに魅力があるのだろうと思っていました。

それがふとひらめいたように納得できたのが、ジャンルがまったく別の、とある本。

パリジェンヌは10着しか服を持たない」という本が、このところ人気のようです。書店で手にとってチラ読みしたとき、その近くにある「服を買うなら捨てなさい」という本が目に留まり、それを機に同じ著者の「50歳、おしゃれ元年」を読んだのでありました。

どの本も、自分のスタイルを持って、量よりも質にこだわった服を揃え、管理や着まわしの手間を省き、でもシンプルに、そして心豊かな暮らし方を提案していると感じました。

枚数はそれなりにあるのに、「着る物がない」と思うのはなぜだろう。その答えがこの本にありました。自分を知ること、周囲に流されないこと。

あっ、私ダメだ、できてない、流されてる!と思うのと一緒に、これって料理づくりと同じことかも!とリンク。

レパートリーを広く持ち、さまざまなものを作ったり、新製品を知っていることや試してみることが楽しくて豊かなで普通の生活!と思っているけれど、果たしてそれって自分にとってよいこと? 自分が快適なこと? 自分に必要なこと?

そんな根本的な問いかけに始めて気付いたのでした。

そして、食べたいものや季節のもので充分。あれこれいろいろ欲張って作りなさんな と、沢村貞子さんが私の耳元で特別にささやいた瞬間でした。

たくさんの調味料、食材

たくさんのレシピ、話題の料理

家族の好み、健康に大切なもの

それらを全部‘取り入れるなければいけない‘と思い込み、いつの間にか私ば溺れかかっていたようです。頭はいつもパニック、管理も買い物も大変。

もちろん、さまざまな食材をいろいろな調理法でバランスよくとることは基本としてよいことで大切なことなのだけれど、ネ。

先の衣類の本をきっかけに、ずっと迷っていた白いシャツを買いました。一週間に何回も着るような気に入っている服なら、高くても無駄じゃない。そして、「いつも同じ服」と思われることはちっとも恥じゃない、というメッセージが強力な応援エール。

確かに着るたびに気分がよいし、洗濯だって大切に大切にと服を大事にしながらなので、面倒というより愛おしかったりして。こういうのもなかなかよいものです。着る服を選ぶのも迷いは、断然減りました。

では料理なら、

その時季の鮮度がよくて安全なものを、同じ食材・料理であっても何回も食べよ。いつも同じ料理というのは恥じゃない、ということかしら。

もちろん一ヶ月間同じ料理っていうのは極端ですが、毎日変えなくてもいい、自分のスタイルでいこうという考え方は、周囲に振り回されるよりもはるかに心が健康になれるような気がします。

自分に余裕ができて、気持ちが広くなっていけば、自然と献立も料理も幅は広がってゆく予感がします。

まずは現状を認めなければ。それと、周囲の情報に流されて、自分に縛られている自分をほどいて楽にしてあげなければ…

2015年5月17日 (日)

ローテーションを作っちゃえ

食事づくりがあんまり得意ではないものの、このところ、ちょっと向上の兆しです。

数年前につけた夕食の記録をもとに、我が家で人気の料理、ある季節には必ず入れたい料理や食材をもとに、献立のローテーションを決めたのです。

決めたといっても主菜の大枠。豚肉の焼いた料理、挽肉を揚げた料理などと素材と調理法が重ならないように3週間の中に振り分け、1週目をA、2週目をB、3週目をCとして3つのパターンをローテーションすることにしました。

できればパターンはもっとある方がよいのでしょうが、最初はあまり無理のないところからとスタートすることに。

それとともに、豚肉の焼いた料理、挽肉を揚げた料理などとを献立パターンに沿って分類し、ファイルに整理。

以前のレシピファイルは、素材別にしていたのですが、それが自分には合っていなくて使いづらいものだったということに、パターンを決めるときに(ようやく)気づきました。

いま私が分類しているのは、

・主菜の素材と調理法別に、15種類

・主菜のボリュームが欠けるときに必要なサブ主菜料理

・サラダ類

・根菜類・乾物の料理

・野菜料理

・スープ

・ご飯もの

・休みの日に作るもの

としています。

この分類は多いか少ないか。自分で仕分けしてびっくりしたのですが、自然に分けてこうなったので、私にとって使いやすい分類です。こういうことって、きっと人それぞれで、この感覚が違うんだろうな。

私が素材ごとや料理ごと、素材×調理法の分類に仕訳するのは、献立を考えるときにこれらの順番で考えると決めやすいのです。

いろいろ紆余曲折ありました。

曜日ごとに食材を決めるとか、調理法を固定するとか、交互にするとか…

そして悩み、挫折の結果生き残ったのがいまのスタイル。私の汗と涙が染み込んでいるのでありまする。

不思議なもので、あらかじめ作るものを決めてしまうと、逆にそれを変えてみたくなる気が起きるようです。考えるのがメンドウなときはそののままですが、「おいしそう」という食材に出会ったり、お徳なものをみつけたらさっさと乗り換えたり、リクエストがあったら変更。たたき台があることで、次の段階の工夫や思いつきが生まれるようです。

献立を決めることを楽しめる人には問題ないと思いますが、毎日、毎月、毎年、あとどんだけ???と重荷に感じるときは、パターン化作戦、悪くないと開き直っています。

明るい開き直りは、きっと日々の家事には大切。

2015年5月 1日 (金)

進化する書店にエール

しばらく買っていなかった料理の月間専門誌が、ようやく待望の特集をやると聞き、発売日当日に近所の書店に行った。

が…ない。ない。雑誌自体がない。いつもあったのに。店員さんに確認すると、その書店で売り上げが少ないことから配本があまりないのだという。

書店で雑誌を手に取り、匂いをかいで買いたかったので、電車に乗ってとある大型書店に行ったが、やはりない。神奈川西部の期待の大型書店なのに! 店員さんに尋ねたら、そこではそもそも扱っていないのだと言われた。

大型書店(確か売り上げは国内で4位だった)の規模であれば、取次に配本を断る権利があるのだろうか、大型書店であれば、ジャンルは広く、多くの種類の本・雑誌を揃え、並べてあるものではないかと思っていたのだが、どうやら私が浦島太郎化しているらしい。しかし、考えてみれば当然かも知れない。

データ化やデータ分析が進み、売れる売れないがはっきりとわかれば、売れる可能性が低いものは、切られても仕方ない。

もはや、こんな本がありますよ~とカタログ的に出版物を並べていた時代ではないんだなぁ。毎日のように新刊が届く書店では、一年に数冊が売れるか売れないかというタイプの本は、レギュラーの場所は確保できないだろう。

自宅で調べれば、アマゾンで新刊ばかりでなく中古も入手可能。図書館のオンラインを利用して予約すれば、県内中のからタダでたくさんの本を読める。

その一方で、近所の書店で、自分が直接手にしたい本に触れ合えにくくなったわけだけれど、書店が、個性を示し始めている。その書店独自のフェアや工夫したポップやランキング。カフェや読み聞かせ。子供コーナー。売りたいものや力を入れているもののアピールは、小売ならば当然のことだった。

今回は、結局はアマゾンで買った。交通費はかからない、中一日で届く。レビューを参考にしたり、類似本があればより希望にあったものをチョイスできるから、その便利さや恩恵は計り知れない。

しかし面白いことに、以前より図書館を利用したり中古本を買うことが増えているのと同時に、そうやって浮かせた分、どうしてもほしい本を手に入れ、蔵書は減ってはいない。

憂うよりも、生き残っている書店が売り込む本に、もう少しおおらかに関心を持とうと思う。時には電車賃もかけ、書店から発する情報を楽しもう。これまでになかった出会いが、書店から始まることに価値を感じて。

1219627

日本料理の特集、待ってました!

«思いがけなくおいしい筍

最近のトラックバック

2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31