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2008年6月26日 (木)

父の日記を読んで

四十九日までは、と思い、毎週末、実家で過ごす。そのとき、なんとも言えない気持ちで、父の日記を読み返す。完全リタイアしてからの10年近くの日記。全くマメな人だった。

書くということ、記録するということが、これほどまでに好きだったのかと、あらためて思わされる。入院しても、そして、死の前日まで、ちゃんとメモがある。自分が書けないときは、母に代わって書いてもらっていた。

読むと、真に興味があったもの、好きだったこと、価値観などが伝わってくる。生前はぼんやりとして気に止めていなかった父のキャラクターや思いが、ああ、そうだったのかと手ごたえをもってわかる。そのことは、残されたものにはなかなか辛いもの。でも、確かな存在感でもあり、日記が残っていることはかけがえがない。

父の日記は、私の書くセンチなブログのような感情的なものではなく、事実、ニュースを淡々としるし、さりげなく一言、感想が書いてある。それゆえ、冷静にも読める。

毎日、毎日、律儀に書いてあるのを読んで、私は、この遺伝子の一部を受けていたのだと思う。そこまでマメではないけれど、書くことで自分を安らげているようなことはわかる。

ここまで書くこと、表現することが好きなら、携帯電話を持たせればよかった。とてもとても強く思う。

新しモノ好きな父は、さまざまな家電や機器にすぐ手を出す人で、5~6年前からはパソコンにはまっていた。そのころの日記は、ほぼ一年中、パソコンのことで埋まっている。名簿作り、写真整理、年賀状などを楽しんでいたようだ。時折、やり方を忘れてしまい、弟(私の)に同じことを何度も聞き、ケンカになったこともあったらしい。ケンカしたときの弟の態度を、「親に対する態度ではない」と日記中で怒っている。このことは、私も、母もよく覚えている。パソコンが動かなくなったり、やり方がわからなくなると、「先生(私の弟)の帰りを待つしかない。しかし遅い」とも。さぞかし待ち遠しかっただろうなあ。

携帯電話もさっそく欲しがったけど、私たち子供は、「いったい誰にかけんの?」と反対した。実際、父の友人たちは持ってないし、母だってたいてい一緒に行動する。でもいま思うと、携帯があったら、きっと、メールの機能を覚えて、出歩けなくなってからは、きっと、私や孫たちにまめなメールをよこしたと思う。きっと、楽しんだと思う。興味があるうちは、いろいろな機会を作ってあげればよかったと、つい思う。

「携帯、持たせてあげればよかったね」と、弟とも話した。

私は、あまり父から褒められた記憶はない。弟に「おとうさんから褒められたことってある?」と尋ねたら、「パソコンのことをよく知ってるなあ」と言われたという。ちょっぴりうらやましかった。私、叱られてばっかだったから。

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