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2008年6月 2日 (月)

思いもしない出来事

5月24日に父が他界。その数日前までは、入院していたものの経過がよく、次はベッドから車椅子に移ろう、そしてリハビリに入ろうと主治医とともに見守っていたので、突然というような衝撃だった。

肉親を失うこと、親を失うことがこんなにも悲しく、やりようのない気持ちになるとは想像もつかなかった。後悔ばかりで、どうして、なぜという思いからずっと逃れられない気がする。年齢的にも、父の人生の内容的にも、平均的なことから考えたら、決して理不尽なものではない。でも、家族というのは、たとえ100歳であってももっと生きて欲しかった、もっと好きなことをしてあげればよかったと後悔するもののような気がする。

幸い、最期のときを家族で見守ってあげられた。皆で手をつなぎ、からだをさわり、一緒のときを過ごすことができた。それがせめてもの救いだ。また、意識がしっかりしていて、最期まで人間としての尊厳を失うことがなかった。闘病中、何回か意識混濁の危険を乗り越え、医者も驚いていた。あまり話はできなかったけど、震える字で残した23日までの日記には、いろいろなメモがあり、ちゃんとしていてくれたことを、本当に誇りに思う。亡くなる数時間前でも、私に「帰れ」と手の甲で追い払う仕草をしていたっけ。延命は望まなかった。

葬儀を迎え、改めて思ったのは、近所の方たちのあたたかさだ。いまの自分のマンション暮らしでは決してないだろう、さまざまなあたたかい思いを目の当たりにした。病院から自宅に戻る際、もう近所の人が集まって出迎えてくれ、支度を手伝い、焼香をしてくれた。翌日から葬儀までは、打ち合わせや、弔問客や、それこそ食事の支度も買物もできない中、食事になりそうなものを届けてくれ、助言もしてくれる。混乱している中、とても頼りになった。近所づきあいというのは煩わしいもののように思っていたけれど、こういう形になって返ってくるのかと思わずにいられなかった。老人の式では、通夜より告別式に来る人がぐんと少なくなって寂しいからと、両日とも来てくれた近所の方や母の友人たちにも、その気持ちに感謝。予想していたよりたくさんの方がお別れに来てくれ、親戚たちも驚いていた。

4人だった家族が3人になるというのは、思っていたより、きつい現実だ。でも、こんな思いを繰り返したくないから、せめて、母をもっと支えてあげなければ。だけど、悲しみが癒える日が来るとは、まだまだ思えない。でも、こうしたことをきっかけに、たくさんの人にお世話になっていることを感じ、長らく会わなかった親戚たちと会って語り合い、得たものは大きい。

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