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2014年2月 9日 (日)

彼は後悔しているのだろうか。それとも…

ジュゼッペ・トルナトーレ監督の「鑑定士と顔のない依頼人」を見に行ってきた。

“思いがけない結末”がどういうものか、興味津々だった。

いったいどうなるのだろうと話の展開を追っているうちにあっという間に時間が過ぎ、ナゾは深まるばかり。で、クライマックスでは想像もしなかった直滑降。本当に、まさかの結末に、私もヴァージルと共にしっかりと騙されたひとり。

結局は、主人公のヴァージルが、人をお金以外のところで信じて来なかったツケなのだろうか。イニシャル入りの食器がリザーブされているレストランでひとりで食事をしたり、ズラリと並んだ皮手袋の棚から、今日はどれを使おうかと選ぶ様子は、贅沢そのもので羨ましくも感じる。そして、成功した人間の一つのパターンとして、決して人を無碍にしているわけじゃないけれど、自分がよければ他人には無関心という傲慢さを感じさせる。

依頼人のクレアと出会い、徐々にどこか人間として足らなかった何かに気づき、認め、さあ幸せな人生の出発という矢先に、これまでつきあってきた人間たちに仕掛けられたワナにかかる。裏切られ、財産や恋人をなくし、その衝撃の強さから、たぶん、廃人になってしまった。

私は日々、私なりに心が壊れるような思いや、逆に生き返ったように心がときめく思いを繰り返しながら生きていると思う。特に人に語るようなドラマチックなことはないけれど。

失うものは特にはないと思いながらも、私なりに傷つき、悲しみ、些細なものやばからしいほど単純なことにふと励まされ、立ち直る、そんな繰り返し。経験と慣れからか、鈍感さを身につける一方で、傷ついた分、不必要に用心深くなったり、ふとした他人のやさしさに、心がやわらかくなる。

そんなごく普通のでこぼこの毎日だけれども、日々の気持ちの揺れの中から、人の温かさや深さ、逆に残酷さや相容れない部分を少しずつ飲み込むことを身につけてきた。少しはヒトを労わることもわかる。逆に、ヒトの気持ちがわからず、自己嫌悪に陥ることも多くある。そんな経験もなしに、残酷さだけがいっぺんにやって来たら、たぶん、ヴァージルのように、耐え切れず心が壊れてしまうだろう。

友人のビリーの気持ちを簡単に流したり、注文した紅茶に口をつけず、お金だけ払う様子など、見ていて気持ちがハラハラする場面がたくさん配置されていた。あの痛みを、ヴァージルはその場その場で清算していかなければならなかったのだ。

残酷な仕打ちだと思ったけれど、それでも、恋という最高のときめきに出会って狂ったのは、ひとつの幸いなのかもなぁ

小物づかい、セットの美しさ、思いがけない人がストーリーのカギとなっている設定の楽しさは、ヴァージルの悲劇を上回る楽しさだった。

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