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2014年6月 3日 (火)

石田徹也展

2005年に31歳で亡くなった夭折の画家。

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作品の多くの主人公は、からだの一部が機械や道具になったサラリーマンだ。本人ともとてもよく似ている。チャップリンのモダンタイムスとどこか重なる部分はあるけれど、ブラックユーモアとも言いがたい。もっと真正面から、作者が「ちゃんと見てください」と叫んでいるような、きちんと向かい合わないといけない緊張感がある。ていねいにていねいに細かく描き込まれた作品は、余りに緻密だ。

見ながら、歌手の尾崎豊のことが浮かんだ。そう思った人はきっと私だけではないはず。繊細で、敏感すぎる感受性ゆえに自分を傷つけた生き方が印象的だった。グレーゾーンだらけの世間というものに合わせて生きることができない不器用さ、一途さ。レジェンドだよね。

石田徹也というアーティストにとっての31年は、普通の人の平均寿命を全うしたくらいの、びっしりと詰まった人生だったのではないかと、作品を見ていて思った。現実から逃げることをせず、誤魔化さず、向かい合うしかなく集中して取り組んだ1点1点の作品は、彼の精神をどれだけ疲れさせたのだろうか。

他の美術展と違い、女性よりも男性がずっと多く、年代が多岐に渡っており、その雰囲気のちょっとした重さは、作者が運んで来たものか。

会社人間を批判するかのようなテーマかなと思っていたけれど、少し違っていたようだ。

いま、電車に乗ると、前に座っている人、両隣が、ひたすらスマホを見ているということが多い。彼の“燃料補給の食事”の作品を思い出す。そして、至るところで老若男女がスマホを離さない様子は、それぞれが読書や手紙や音楽鑑賞や好きなことをしているはずなのに、どうしてか不気味に見え、ふと彼の絵が浮かぶ。

彼が生きた90年代は、会社とか仕事に対して、いまならPCやゲーム、スマホといった、人間が自分がしていることに疑問を持たず、どっぷりと浸かっている状態に対し、何か伝えたいメッセージがあるような気がした。

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