自分の価値観が、献立ストレスを生み出していたらしい
沢村貞子さんの「わたしの献立日記」を読むと、気持ちが前向きになります。
日々の献立のメモとエッセイの構成で、料理は和食中心のシンプルなものばかりだけど、季節感と食べ物の鮮度の気配を感じる内容に、品数や料理のレパートリーの広さではない、食卓の豊かさがにじみ出ています。写真はなし。料理写真はないのです。文字だけです。
料理は、同じものが毎週のように出ていたり、素材はそんなに種類が多いわけでもなさそう。和食中心でバリエーションが豊富というわけではありません。だけどどうしてこんなに魅力があるのだろうと思っていました。
それがふとひらめいたように納得できたのが、ジャンルがまったく別の、とある本。
「パリジェンヌは10着しか服を持たない」という本が、このところ人気のようです。書店で手にとってチラ読みしたとき、その近くにある「服を買うなら捨てなさい」という本が目に留まり、それを機に同じ著者の「50歳、おしゃれ元年」を読んだのでありました。
どの本も、自分のスタイルを持って、量よりも質にこだわった服を揃え、管理や着まわしの手間を省き、でもシンプルに、そして心豊かな暮らし方を提案していると感じました。
枚数はそれなりにあるのに、「着る物がない」と思うのはなぜだろう。その答えがこの本にありました。自分を知ること、周囲に流されないこと。
あっ、私ダメだ、できてない、流されてる!と思うのと一緒に、これって料理づくりと同じことかも!とリンク。
レパートリーを広く持ち、さまざまなものを作ったり、新製品を知っていることや試してみることが楽しくて豊かなで普通の生活!と思っているけれど、果たしてそれって自分にとってよいこと? 自分が快適なこと? 自分に必要なこと?
そんな根本的な問いかけに始めて気付いたのでした。
そして、食べたいものや季節のもので充分。あれこれいろいろ欲張って作りなさんな と、沢村貞子さんが私の耳元で特別にささやいた瞬間でした。
たくさんの調味料、食材
たくさんのレシピ、話題の料理
家族の好み、健康に大切なもの
それらを全部‘取り入れるなければいけない‘と思い込み、いつの間にか私ば溺れかかっていたようです。頭はいつもパニック、管理も買い物も大変。
もちろん、さまざまな食材をいろいろな調理法でバランスよくとることは基本としてよいことで大切なことなのだけれど、ネ。
先の衣類の本をきっかけに、ずっと迷っていた白いシャツを買いました。一週間に何回も着るような気に入っている服なら、高くても無駄じゃない。そして、「いつも同じ服」と思われることはちっとも恥じゃない、というメッセージが強力な応援エール。
確かに着るたびに気分がよいし、洗濯だって大切に大切にと服を大事にしながらなので、面倒というより愛おしかったりして。こういうのもなかなかよいものです。着る服を選ぶのも迷いは、断然減りました。
では料理なら、
その時季の鮮度がよくて安全なものを、同じ食材・料理であっても何回も食べよ。いつも同じ料理というのは恥じゃない、ということかしら。
もちろん一ヶ月間同じ料理っていうのは極端ですが、毎日変えなくてもいい、自分のスタイルでいこうという考え方は、周囲に振り回されるよりもはるかに心が健康になれるような気がします。
自分に余裕ができて、気持ちが広くなっていけば、自然と献立も料理も幅は広がってゆく予感がします。
まずは現状を認めなければ。それと、周囲の情報に流されて、自分に縛られている自分をほどいて楽にしてあげなければ…
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