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2015年6月29日 (月)

平塚 樹勢にて

年齢が増すごとに、「やっぱり和食」と思うようになるのはベタな話。ちゃんとそのレールに乗っかっていることは、健全な自分の老いだ。

年齢を重ねたからこそ得られた、価値ある感覚のひとつだ。

年齢が上がることでわかるもの、見えてくるもの、許せるようになるものがある。個人によってその広がりや理解の程度は違うけれども、以前の自分だったらわからなかったなと思うことの代表格が、私にとって和食だ。味も器も文化も居心地も。

いつの間にか、あんなに物足りないと思っていた豆腐や白身魚を、ゆっくりじっくりと味わうようになり、旬のものの登場に耳を傾けるようになっている。苦味とか渋味も、季節の恵みと楽しむようになった。それは同時に、日本酒の楽しさも連れてくる。

楽しんだ食材は、岩ガキやハモ、カジキマグロ、じゅんさい、イカの塩辛、枝豆、ヒラメ、スズキ…

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初めてのお店ではどこか落ち着けなかったカウンターで、そんなに肩肘張ることなく、大将やおかみさんと話ができようになってる。

おかみさんの下駄のカラコロという音が、BGMのない店で軽やかに響き、それがなかなかいい感じ。

できれば、お椀が頂きたかったが、メニューやコースに入っていない。そういう割烹店もあるのだな。

ゆっくりと楽しみ、連れも満足。私に比べて日本料理を楽しんだ経験はほとんどないけれど、出された料理がどれも、大衆的な居酒屋さんや、スーパーマーケットでちょっとがんばって買うものと段違いであることをすぐ理解していた。

そうした食の楽しみを、これまでだったら贅沢として縁遠く考えていたけれど、刺身ひとつ、焼き物ひとつ、料理人の食材選びと技術があってこそのもの。

湯木貞一さんの著書に、“食道楽は数ある道楽の中でもささやかな方だ”という内容の記述があったのだと思うけど、ウン、楽しむ力がつき、余韻もこんなにあるのなら、楽しむときが来たのかも知れない。

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