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2014年11月24日 (月)

次の本へ

今日の日経新聞の春秋の記事に驚きました。

かつての知り合いが、この出版不況と言われる時代に出版社を起こし、とてもその人らしいテーマで本を出版していたのです。

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とある出版社に勤めていたのは知っていたけれど、独立して出版社設立とは!

感激です。本好きで、情熱的な人柄を知っているだけに、納得です。

私も多少は本づくりや本の企画に携わっていますが、自分がやりたいことはなかなか形にできていません。売れる本、売りやすい本という企画の篩にかけられると、見事にはじき出されます。きっと自分で出版社を起こさないとできないんだろうと、半ばあきらめムード。私に情熱が足りない。

いったいどういう経緯と思いで、形になったのだろう…と思っていましたが、寄稿されている方が、各自のブログやツイッターでこの本と、本への思いを熱く紹介しています。それを読むと、編集者としてつきあいを重ね、編んだゆえの結晶なんだなと感じ取れます。編集者の思いを共有して寄稿してもらう…なんて編集者冥利!

その本を注文しようと、amazonのページを開いたのですが、注文をクリックする手が止まりました。

本だけでなく、街の本屋さんが大好きな苦楽堂の代表は、きっと、“amazonでもかまわないけど、できれば街の本屋さんで注文してくれると嬉しいな”と思っているように感じたから。

2014年9月22日 (月)

裏山の奇人

近頃楽しんで読んでいるものに、HONZというノンフィクション本を紹介するサイトのメルマガがある。そこの抱腹絶倒のコメントに惹かれたのがこの本

昆虫学者が書いたこの本は、本人の奇人ぶりだけでなく、彼の目から見た世界から伝える力に優れ、読み出すと止まらない、ジェットコースター系の本だ。何よりも虫を愛し、ひたすら、そしていまも虫を追い続け、研究対象というよりも、仲間? 敵? 恋人?

私は平凡な人にありがちな、虫は得意ではない人類のひとりだ。まだ数十年あろう平凡な人生の中で、童話以外に虫を扱った活字だらけの本を読むとは思わなかった。せいぜい、ハラペコあおむしとか、みつばちマーヤの冒険(アニメだった)が記憶に残る。

そうだ、この本は、虫をテーマにしたある学者の記録というより、ヒトの形をした昆虫人の、けっこう壮絶な人間界でのサバイバルストーリーかも知れない。

何しろ、本人は必死。観察のためにどれだけ蚊に刺されようとも、カラスの仲間になるために数時間待とうとも、ヤマネと会うために夜中寒い思いをしようと、さまざまな虫や動物に会うための必死さが滑稽というより愛を振りまく。彼の語りに乗れば、普通の裏山や学校や広場が、ワクワクの探検場所になる。ちょっと真似はできないけれどねー。82年生まれのご本人、現在も、初めて昆虫と出会って感動をした2歳のままのようだ。

虫にかかわらず、生き物好きな人、人間という生き物も含めて、生き物好きな人におすすめしたい本。また読み直したい。そして、(ご自身の)驚きの生態を披露してくれた著者の小松氏には、さらなる続編も願いたい。次も必ず読む!

2014年9月 1日 (月)

「かどわきの一皿」

kい丼ものだけとか、スパゲティ一皿で急いで食事を済ませるような場合は別として、料理を味わうために食べるときは、一品ずつ順番で出されるものだ。家庭での食事でも、特にお酒を楽しむときは、先に酒肴的な料理を味わい、最後のしめに食事、汁物は温かくして出すものだ。

以前、和食の「献立」の立て方や、和食のコース料理をテーマにした本に関わったとき、何気なく出していると思った先附には、最初の一品としてお客に何かを印象づける役割があったり、男性客と女性客では料理の飾り付けを変えるとか、シンプルな料理の次には、何か仕掛けのある料理を出すといった、お客を想定し、料理の流れを考えたストーリーがないと献立は組めないのだと料理の先生から教わった。甘いものが好きな人、逆の人、味噌味を中心に組む献立、塩味を基調とする献立など、全体の流れをどうするかがないと、なかなか献立というのは構成しづらいものだそうだ。

それまでは例えば“煮物”、“野菜料理”というようにテーマを流れではなくブツ切りして企画することに疑問を感じていなかったから、それ以降は、料理の流れの表現を少しは考えるようになった。さらに、そうした流れを、本という二次元の世界で表現するのはどうしたらいいんだろうと引っかかっていた。

モワっとしていた私に、「これ、いいなぁ!!」と少しすっきりさせてくれたのが、「かどわきの一皿」という料理の本。

Index

表紙からわかるように、ライティングやバック、器の色などとても地味だ。華やかな盛り付けもしていない。でもよく見ると、器の質が高いことがわかる。カウンターで提供されたときの印象を大切にしているようだ。

そして、お店に入った光景から、最後、お店を出て振り返るまでの流れでイメージカットを扉と奥付近くに配置し、料理も、酒肴から小鉢、鍋、食事、デザートの順で、お客が料理に出会う順番で紹介している。

味づくりにも主張がある。素材を生かすために、ポン酢を塩味ベースにしたり、お造りを塩とわさびで食べてもらったり。引き算という意味、ここにあるのか。

こんな発想もあり!?と思ったのは、日本料理の華と言われるお椀を入れず、鍋物を組み合わせていること。日本料理なら当たり前と思われている構成を大胆に変えている。その気持ち、説明を読むとけっこう納得できる。きっと賛否両論あることだろう。でも自分の表現として実行しているのだろう。

料理はどれも、組み合わせによって個性を発揮しているものを紹介している。トリュフを使った鍋ご飯はかなり大胆だけれど、牛タンと黄ニラを使った鍋ご飯や柚子とバターのご飯などは、どちらも私には未体験なものの、喉の奥がウズウズしてくる気配。あしらいは最小限。これも引き算。これは料理そのものへの自信を表していると思う。

料理への考えがしっかりあり、お客さんへ伝えたいものが自分でわかっていれば、こうして料理として形にでき、伝統や習慣に対してもの申すことができる。文章の表現があればより精度を高めて伝えることもできる。こうした、料理ごとの時間の流れと作り手の思いをていねいに、誇り高く伝えることができる本を、私もいつか作り上げたいな。

このお店自体は、店でのサービス方法や食材の真偽についていろいろなことが言われているようだけれど…

2014年8月20日 (水)

「野菜を喰らう」

食材の小売を支える市場のストーリーには、テーマそのままだけで活気があって、面白いものだ。西洋野菜とも呼ぶ“洋菜”を中心に、築地で野菜を商う伝説の店主のエピソードとともに野菜を紹介したこの「野菜を喰らう」、もっと早く読めばよかったと後悔を感じた、エネルギーがあふれる一冊だった。

伝説の店主は、洋菜にこだわった築地「大祐」の大木健二氏。もう亡くなった方だが、大正5年に生まれ。15歳で野菜問屋に奉公に出て、激動期の昭和を生きた彼の行動力と人間力を、野菜の歴史をからめながら紹介する。図鑑のようでありながら、野菜を扱う仕事を貫いた、人間力をみせつける面もある。

新種の野菜を普及させるために、国をまたがって探し、トラブル満載で仕入れ、生産者を訪ねて生産を依頼し、料理人には使い方を教える。たくさんの生産者や料理人を育てた人でもあった。身近に感じる野菜たちが、大木氏の情熱によってどれだけ早く広く根付いたかを思わずにいられない。

ひとり熱いだけでなく、「大祐」の経営者の持丸倉吉氏は彼のやり方を見守り、「ホテルオークラ」の小野正吉氏は料理のプロとして遠慮なく注文を出し、調理技術も披露する。さまざまな人の深い懐によって、大木氏がやりたいことにどんどん突進して道を切り開いていくのは、気持ちがよい。

職人気質の人を相手に、さまざまな苦労があっただろうということは行間からじわじわとにじみ出ている。それと同時に、彼から影響を受けて、成長していった生産者や料理人がたくさんいて、いまもその遺伝子が引き継がれているに違いないことも。

彼によって、刺身にパセリのつまや大根や人参のけんが広まったとは知らなかった。ずっと、なぜ、日本料理のお造りのつまは、大根や人参ばかりなのか知りたかった。まさか野菜を売るための仕掛け人である大木氏の知恵だったとは。やられました!

2014年7月26日 (土)

効率優先もほどほどに

仕事上、いろいろな本や雑誌を資料として目にするけれど、時間がないのを言い訳に、最短距離で読み終えようとする読書を、長いこと続けてきたことに気づいた。

面白いか、面白くないかの、本自体の持つパワーというのもあるけれど、よいところ、面白いところを探そうとする心がけが、せっかくの出会いにはあった方が、気づきが多くなると思う。

そんな私にとっての“悪習”を!と思わせたのが、「野菜を喰らう」だ。

著者は、築地の八百屋さん。西洋野菜の草分けとして有名な、大木健二さんの話や西洋野菜を広げる苦労話をエッセンスとしながら、西洋野菜をわかりやすく解説する。

大木健二さんのお名前は聞いたことがあったけれど、具体的な仕事の内容は、この本でようやく少し知ることになった。

健康ブームや野菜人気から、いまは日本料理の世界でも、積極的に西洋野菜を使う時代。
トマトなんてあたりまえ、いまやアイコだ、カルビタトマトだのと、取材に出向くたび、次々と耳に新しい野菜が登場し、それを料理人は積極的に使いこなしている。

そんな自分の不勉強を補う資料として手にとった本だったが、それ以上に、野菜たちが日本にはいるようになったエピソードが面白く、西洋野菜を全国に広めるために東西奔走した大木さんという方のバイタリティに引き込まれる。今度使ってみよう、食べてみようという思いが立ち上がる。

ふと、「向田邦子の手料理」の本を思い出す。

決してプロとしての手の込んだ料理ではないけれど、人柄が伝わってくるストーリーとさりげなさが詰まった、楽しい料理の世界が広がっている。どれもが、平凡な材料ばかりで真似しやすいものばかり。何品、この本から作ったことか。

実用書を読むのが楽しいという経験はかなり久しぶり。時間がないから、資料として必要な部分にだけ目を通しておしまいにするような読書を続けてきた自分が、少し“痛い”。

効率よくやってきたと思ったけれど、どうやら、脇道に立ち寄ることをやめることで、楽しみまで減らした読み方をしてしまったようだ。

2014年1月19日 (日)

「舟を編む」と私の校了

活字に関わる仕事をしているせいもあるのか、ぐっと引き込まれて読んだのが、三浦しをんさんの「舟を編む」。辞書を生み出すエネルギーがいかに膨大で根気や情熱を必要とするかは想像に難くない。こんなに長く一冊の本のためにエネルギーを継続させられるかというとハイとは言えないだろうが。

私もちょうど一冊の本の仕事を終えた。その最終作業をしている最中、移動時間にこの本を読んだ。

私が関わったのは、一から言葉を拾う辞書とは対照的に、かつて掲載された内容に追加取材をし、内容をやや書き改めたものだ。イチから新規取材できればよいが、20年前に取材費がそこそこあった時代とは違い、出版界はまだまだ不景気の風がびゅんびゅん吹いている。以前のネタを活用して新しく見える本を作ることは、やりたい仕事とは言えないけれど、必要とされている。

数十人体制で5校まで校正をする馬締さんの辞書づくり。さて私は、1人で2校。編集、ライター、校正をすべてやる。116ぺージと、規模はなんとささやかなものか。それでも気持ちは追い詰められ、間違いがあってはタイヘンと目を皿のようにして臨んだこの2週間。

それが終わり、いま、開放感の中にいる。そんな規模だから打ち上げというものもないのだが、ひとりで「舟を編む」の馬締さんの気持ちを想像しながら、活字を扱う仕事の責任から少しだけ開放された気分を、お酒と一緒に浸った。

間違いがないよう、取材先の人の気持ちを裏切らないよう、そしてこれから手にとってくれるだろう読者に、少しでも新しくて役立つ情報を加えることを念頭に置いて作業をしてきた。

好きだけれど、地味な仕事だ。今回は、「舟を編む」のおかげで、自分の周囲に同じような地味な仕事を黙々とする見えない仲間の気配を感じて、校了の気分を過ごせた。

次の仕事は、もっと言葉を大切に使った内容にこだわろう。リライトという作業は、私の場合、以前の文章をそれほどこわしたくないために、自分で文字を選んで文章を書くより、少し言葉の使い方が軽くなっていた思う。いま手元にある辞書類の、それらを作った人々にも敬意を表しながらもっと自分で選んでいこう。

2013年7月21日 (日)

私の好きな料理本

最近出会ってワクワクしている料理本は、高橋みどりさんの伝言レシピ

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2006年発行の、くうねるの連載を編集した料理本です。

著者の高橋さんが、友人たちから教わった(あるいはスパイのように観察した)、意外に簡単でおいしい料理というのがテーマで、見栄えはイマイチの料理たちが並ぶのですが、意外な材料の取り合わせや、あっけないほど簡単な作り方に、あっぱをあげたいような独自メニューばかりが並んでいます。

例えば、春キャベツを和風だしで煮込んだ地味なパスタとか、胡麻油と塩でにぎったニオイのよさそうなおむすびとか。これこそ、家庭料理の王道では???

絵的には今一歩なのですが、みつめればみつめるほど、絶対美味しいという予感がプンプンします。

そうだ、思い出しました。

私、こうしたメニュー、好きだったんだ。

使う食材の種類が限りなく少なく、そして手元にある調味料で作れて、時間も手順も簡単。で、「えっ?!」と思わせるアイデアのあるおいしさ。

最近、人気の料理ブログを見ていると、とにかくカラフルで楽しげ。こちょこちょと可愛い。こういう料理が人気なんだなぁと思っていたところに、頭ガツーンの再発見・衝撃の一冊。

作りたいものに付箋を貼っていたら、あっという間に20枚くらいひらひらになってしまいました。こうなったら、ちゃんと買わないといかんなぁ。(現在、図書館からのお借りしている最中)

2010年5月 2日 (日)

動的平衡

自分のものなのにちっともわからない、自分のカラダ。眼や記憶力など、さまざまな変化が出てきたこのごろ、カラダや心に対するさまざまな疑問がつのります。

どうして歳を取ると、一年が短く感じるのかという疑問に答えてくれたのが、福岡伸一氏著の「動的平衡」という本。加齢による、体内時計をつかさどる新陳代謝速度が、加齢によって遅くなると説明してありました。

この本では、生命とは何かということを大きなテーマにしており、「生命とは動的な平衡状態にあるシステムである」と説明していました。ナルホド。父が具合が悪かった頃、生きているってことは、食べて排泄することなんだと実感したのは、まさしく私が動的平衡状態を感じたということ。

普段だったら、こんな難しそうなタイトルの本は、必要なごく一部を読んでサヨナラなのですが、この著者の方(編集者?)、わかりにくいことをやわらかく、感覚的な表現を織り込んで文系人間に面白く読ませる力があるように感じました。その反面、感覚的過ぎて説得力に乏しいという書評もあるようです。まあ、何かやれば何か言われるものです。

真実かどうかは謎と思ったのですが、感動したエピソードが、本文中で紹介されている、ライアル・ワトソン著の「エレファントム」の本の話。1990年代、南アフリカで最後に1頭残ったあるメスの象が、切り立った崖から海を見下ろしていて、その眼の先にはシロナガスクジラがいて、じっと向かい合って超低周波音で語り合っていた、というもの。動物たちも、思考や意識を持っていてそれを交換できるという説明のために挿入された話です。

私は、直接、動物たちの思考や意思について自分の意見を言うような経験はありませんが、機敏に飛ぶスズメやツバメを見るたび、ぼよんとしているようでいて、驚くほど柔軟な身のこなしの猫を見るたび、動物たちのさまざまな能力に敬意を感じずにいられません。言葉にしても、彼らは何らかの手段で情報をきっと交換し合う能力はあると思います。TVの、動物と会話ができる衝撃の人が登場!といった企画はどうにも信じる気になれませんが。

2007年3月15日 (木)

トレモスのパン屋 

小倉 明 作/石倉欣二 絵

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小学校中学年くらいによさそうな体裁の本だが、内容は、大人でも自分自身に問いかけてしまうような奥行きのある物語だった。もし自分の店の近くに同業者が店を出したら、自分は自分と悠然としていられるだろうか。この本の主人公のように、弟子をスパイとして店に送り込みたくなるに違いない。ライバルのパン屋の秘密を探ろうと、自らスパイ志願をした弟子は、もぐり込んだ店の主人の誠実さを受け止め、2人の主人の間で板ばさみとなる。最後に、先の主人宛にすべてを記した手紙を旅先から送るのだが、その手紙の部分を子供に聞かせながら、私も涙声になってしまった。

こうすればいいといった結論は示さず、人間の弱さと強さといった矛盾する、でも人間だからこそある、自信、不安、ねたみ、疑い、怒り、悲しみなど、どちらかというとマイナスの感情をいろいろな登場人物を通して表現していて、結論は押し付けがましくない。そこがよく、余韻のある本だ。

パンが大好きな息子に合うかなと思い、選んだ本。3日かけて読んだ。深いけれどわかりやすいテーマで、弟子の板ばさみの気持ちを感じていたようだった。

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