無料ブログはココログ

イングランドプチ遊学

2007年3月12日 (月)

経済力ショック

 40ウン年生きてきて、初めて日本を出て、外から日本を見たわけだけど、日本の経済力、科学技術力というものをつくづくすごいなあと思った。

 ホームステイ先での家電は、いわゆる白モノはドイツ製品が幅をきかせていたけど、CDプレイヤーやテレビ、電子レンジは日本製で、ごく当たり前にイングランドに入り込んでいる。携帯電話だって、私のが色もデザインもおしゃれで、カメラが付いているとびっくりされた。現地で見かけたのは黒や茶の地味なものばかりだったから、クラスメイトは私のピンクのを見て「ピンクなんていいなあ」とうらやましがった。デコ電なんて見たら、彼女、叫んじゃうかも知れない。デジカメも日本製の天下。持っているのは、日本人のほか、中国人と韓国人が多かったようだ。そうそう、私の持っていた電子辞書を見て、英語学校の先生が、「自分にも使えるバージョンだったら欲しいわぁ」とため息をついていた。

 通りを歩けば、車も日本車がとても多い。縦列駐車が当たり前のお国柄、小型車が多いのだが、マーチやフィットなどが目立った。ゴルフやアウディもごろごろしている。驚いたのは、パジェロがSHOGUNという名前で走り回っていたことだ。よく見ると、マーチもフィットも名前がちょっと違う。何だったか忘れたが。こうした車や電化製品のおかげで外貨を獲得しているのねとふと思った。

 もっとも心に響いたのは、知り合いになった人の言葉だった。ちょうどケンブリッヂに友人を訪ねてきたというマラウィ出身(アフリカ中部)の女の子と知り合いになった。彼女は出稼ぎでロンドンのどこかの屋敷で住み込みで働いているらしかった。海外青年協力隊の日本人が学校にも来て算数を教えてもらったとかで、「おはよう」「こんにちは」という日本語を知っており、日本人に好感を持っている様子だった。私は興味から、「日本食は食べたことある?どんな食べ物が好き?」と聞くと、「食べたことはないわ。私には好きなものを食べるような選択の余地はないのよ…」と応えた。確か彼女は、「I have no choice.」と言った。

 当時の私は、そうしたフレーズの意味の強さはあまりわからない会話レベルだったが、それでも、とても強い意味の言葉ということはすぐわかり、言葉に詰まった。彼女は穏やかに笑っていたけど、その裏にどんな思いを秘めていたことだろう。深い考えもなしに質問した自分を、とても恥ずかしく思ったし、いまも「何て失礼なことを聞いたのだろう」と後悔している。

 彼女はただ貧しい国に生まれ、私はただ日本という国に生まれただけと思えた。テレビや新聞で、また教科書で、豊かでない国の人々のことや暮らしを見聞きはしているけれど、好きなもの、興味のあるものをあれこれ食べてみるという私にとっては疑ったことのない行為が、人によっては選ぶことのできない贅沢だとは……考えたこともなかった事実。

 そうした現実を知ってから、日本はいかにがんばったのか、追いつけ追い越せと必死になってきたかの道のりがどれだけ険しいものだったか、そしてこれからの道の険しさも変わりはなく、自分はその流れの中で、幸いな毎日を送っているに過ぎないんだと思う。

 彼女はいまどういう生活を送っているだろう。彼女に生活レベルを上げるチャンスはあるのだろうか。クレジットカードも持っていなかった。

2007年3月 9日 (金)

英語学校での授業(後編)

 このままでは時間のムダ!と感じた私は、2時間目の授業の半ばから、クラスを変えてもらうよう相談するしかないと気持ちが熱くなっていった。このつたない語学力でどう説明できるだろう。でも、このままじゃいやだ!

 2時間目が終わってから、事務室に向かった。学校全般のことを取り仕切っている担当者に、話があると伝え、中に入れてもらった。具体的に何を言ったか、われながら覚えていない。とほほ。ともかく、いまの授業では私には物足りないので、個人授業を受けるとかして、いまのクラスは変えてもらいたいという旨を必死で話したと思う。担当者は、最初、クラスメイトの人に何か問題があるかと聞いてきたので、ああ、もしかしたらあの人はトラブルメーカーなのかなとちらと感じた。

 あなたの言うことはわかった、でも個人レッスンはとてもexpensiveなので、別のクラスに入るほうがいいと思う、それでいかがですかと言われた。中級のコースだったが、いまの状態を抜け出すにはどこでもいい、あと二日しか残っていないと気持ちがあせっていて、それでいいと伝えた。 小さい学校だったので、初級、中級、上級の3つのクラスしかなく、中級ではついていけるかなと不安だったが、でも、中学生の文法ではやってられない。ともかく自分の意図を伝えることができ、ほっとした。

 翌日から中級のクラス。別の建物を借りて行っているらしく、築400年とかいうふるーい趣のある校舎に、向かった。なんと先生が事務所に迎えに来てくれ、徒歩で移動。先生は60~70才くらいだったが、身長190センチで姿勢もよい。これまで見たことのないサドルの位置が高い自転車を押していた。日本でどんな町に住んでいるのかときかれたり、イングランどではいつが一番寒いかなど聞き返したり、ようやく会話らしい会話をした。ジェームズ先生という方だったが、声がよくひびき、ほれぼれした。私と40センチも身長さがあるのに、よくききとれる! 教室に入ると、生徒は私を含め7人だった。なぜか初級で一緒だった上海の子も混じっていたが、私が抜けると初級クラスがその人が一人になってしまうので、こちらに移されたらしい。そんなことで大丈夫かなあとちょっと不安を感じた。

 ドギマギした中級クラスの授業は上々だった。ジェームズ先生のほかに同世代くらいの女性の先生もいて、話題が豊富。はきはきと授業を進める。聞いているだけでおもしろい。生徒はベネズエラ人、フランス人、リビア人、アルジェリア人、中国人、そして私を含め日本人2人とインターナショナル。ほとんどが20歳前後の若者だ。テキストに沿って授業を進め、私は学校から貸してもらったものを広げる。授業とともに話はあちらこちらにころがり、あっという間の90分だった。先生は、日本のフグ料理の一皿はいくらくらいするのかとか、日本では夫や子供の世話をし過ぎて主婦が大変なのだから、もうちょっと自立するように育てなさいよと、アドバイスされるなど、各生徒に合わせてどんどん話題を振っていて、でも意外に話が聞き取れるのもうれしく、会話を楽しみ、時間が流れるように過ぎていった。

 興味深かったのが、先生の脱線トーク。「今日は、事務の○○と○○が授業のチェックに来ていないから」と、授業に関係ない話へ。学校への批判を含め、授業に関係ないことや情報交換を生徒と始めてしまった! でもそのおかげでわかったのが、学校が生徒の希望は特に考慮せず、ホームステイ先を割り振っていることと、私やフランスから来ている人はイングランド人のホームステイ先だったけど、他のいわゆる後進国から来ている人は、中国人のホームステイ先だったことだ。たぶん彼らとは、授業料もホームステイの費用も違うのだろう。「毎日ライスであきちゃったよ」とリビア人のクラスメイトは笑っていた。私が「ちょっと困っているわ」と話し出したら、フランス人の子が、「食事だろ」と間髪おかずに一言。「exactly」と答えると皆爆笑。日本は食生活が独特だから大変ねと、先生は同情してくれた。フランス人のクラスメイトも、「食事が少ないんだよぉ」とぼやくぼやく。ふっくらした体型からは、いかにも食べることが好きそうな様子が窺がえた。でも、中国人のホームステイ先にいるクラスメイトたちは、何も文句もいわず、黙っていたのが今になると気になる。先生が、「○○のコインランドリーが便利で安い」と話し出すと、もうみんな早口で、教えてと大騒ぎ。洗濯は留学生にとって切実な問題らしく、必死で情報交換していた。授業も楽しかったが、皆の生活感のある話がとても楽しかった。

 中級クラス二日目は、私にとっては最後の英語学校の授業の日だった。前日は、新しく入った私に合わせてかわかりやすい話題を振ってくれていたが、その日は、中級らしく、質問も高度で、答えるにもかなり時間をもらわないと無理だった。テキストは借りていたが、予習が不十分で完全に劣等生。時間をもらって必死に回答すれば、「さっき、○○が答えたよ」と私の努力もなんとも思わないクラスメイトから指摘され、ありゃぁ。ぜんぜん力は足りなかった。そういう意味ではクラスに迷惑かけていたけど、加えてもらえてとてもうれしかった。みんな各国のお国なまりでしゃべるが、けっこうわかるものだ。たいていの人がロングマンの辞書を持っており、フランス語のロングマン、アラビア語のロングマン、スペイン語のロングマンと並ぶとなかなか感慨深いものがある。辞書を忘れたベネズエラ人のリボネットが、フランス人のラファエロから借りて調べようとし、ラファエロが制止した。「お前には使えないよ、これ、フランス語だぞ」。また、イングランドの世界遺産を調べるのに地図がないかしらと先生が言ったので、私が持ち歩いていたイングランドの地図を貸したら、先生は、「ワオ! これってイングランドだと思うけど、日本語の地図よ!」と大はしゃぎ。皆がそれぞれ違い、言葉も文化も違うけれど、英語という言葉によってコミュニケーションができて、なんて楽しいのだろうと思った。

 上海から来た彼女はどうしたかというと、中級クラスにいたけれど、質問されてもわからず、仕方なくとばされていた。質問されて答えたとしても、自分の話したいことを延々と話そうとするので、先生も彼女の話を切り上げるのに困っていた様子。そのうち、隣の子にテキストを借りながら、おしゃべりを始める。何度も先生が注意しするがまた話し出す。あなたにはまず、基本的な勉強が必要よと言われても、本人はまったく意味がわかっていない様子で、あいまいな笑顔を見せるだけ。彼女のために時間が経つことに、やはり他ののクラスメイトもしらけている様子だった。そのうち、自分の居場所ではないと感じたのか、授業の途中で何も言わず出て行ってしまった。彼女が出て行った授業が終わったあと、クラスメイトからは厳しい言葉が発せられた。自分勝手、monkey……私というアジア人がいるのに、モンキーなんて言うのだ。結局、人間性がすべて。これは国籍も人種も関係ないことなんだと肌で感じた。

2007年3月 7日 (水)

英語学校での授業(前編)

 イングランドに到着した私は、一週間、英語学校に通うことになった。正確に言うと月曜から金曜までだからたった5日間。一週間の授業で英語力がどうなるなんて期待できるものではないのは自分でもよくわかっていたが、とにかく受けてみたかった。

 小規模校を選んだため、学校はホント小さかった。1階に受付、談話室、資料室があり、2階に3つほど教室があるらしかった。1時限は90分1コマで、午前中の2コマを5日間受けたので、総15時間。もたもたしている場合ではない!

 初日は、まず筆記試験を受け、クラスを振り分けられた。思ったよりぜんぜんできなくて、当然、初級者コース。こんなものだ。気負いはなかった。

 指定された教室に行くと、先に一人来ていた。クラスメイトである。彼女は中国人で、上海から来ているという。とても愛想がよく、日本のことも質問してくる。イングランドにウェルシュ人の恋人がいるとかで、どうしても英語がうまくなりたいという。初心者同士でも、何とか話はわかるから、不思議なものだ。

 初めての授業が始まった。先生は若い女性で、カナダ出身という方。笑顔がとってもキュート。で、授業が始まると、上海の彼女が、ちょっとの質問に対してべらべらしゃべるしゃべる。すごーい!と、私は身が縮んでいくようだった。こんなにしゃべれるのに初級なんて! 彼女はどんどんしゃべり続け、先生も楽しそうに相手をしている。これじゃ私はまだまだだなと思い、会話にも入っていけないし、片や、まあこんなものかと開き直ってもいた。

 翌日。英語学校二日目。また、私と上海の彼女との二人でのクラスだ。けっこう贅沢かもと思っていたが、クラスメイトは相変わらずの調子。さらに元気によくしゃべる。でもそのうち、その内容が、先生の質問とは関係のない、自分の話したいことを機関銃のように話していることに気づいた。しかも、先生が授業を進めようと話を制止しようとしても止めない。これはなんか違うと思い始めた。

 3日目。上海の彼女が来ない。ワオ、今日は個人教授だ、でも一対一なんてどうしようと緊張しているところに先生登場。初顔の若者だ。でも、話し始めてわかった。彼女、サボったんだ! 残念ながら、その先生は、イングランドにもこんなにモテなそうな人がいるんだと納得できるほど、いろんなところがカッコ悪い。物腰がちょっとゲイっぽくて、「ちょっとしっかりしてよ!」といいたくなるような頼りなさ。さらにはユーモアがないのが最悪。授業の中で、ヒントを出し合って何のことを言っているのかを当てるというゲームがあった。そのひとつのお題がにんじん、carrotで、私はヒントを出す番だった。オレンジや赤や黄色があるとヒントを出したが、結局わからず、あとから、「イングランドではにんじんはオレンジ色だ」と真っ赤な顔で主張する。「日本ではオレンジが多いが黄色も赤もある」とがんばったのだが、通じない。つまんないヤツだあ。

 その日、2コマ目に彼女登場。で、またまた別の先生が登場したのだが、なんと、be動詞の活用を教え始めた。「え~、中一レベルじゃん」とがっくりきた。しかし、上海の彼女、まるでできない。べらべらしゃべるのに、文字では理解できないようだ。読むのもとても苦手な様子で、中一レベルの単語が、話せるけど読めない。アーウーと困っている彼女のために時間は刻々と過ぎていく。その脇で私は、「こんなクラスにいる場合じゃない!」と心で叫んでいた。あと二日しかないのに、自分のために時間をさいてもらえない。これは直談判するしかないと決意した。

2007年2月28日 (水)

ちょっと悲しかった食事

 つくづく写真を撮っておけばよかったが、そんな申し出をする語学力もなく、私のホームステイ先の食生活をちらり。

 最初にのけぞったのは、「うちはベジタリアンなのよ」の一言(もちろん英語)。「ええっ~!!」と、思わず心の中で叫んだ。滞在初日、まさかそんな本音はもらせない。「だから、肉類は食べないの。魚も嫌いだし」。ああ~家族でローストビーフを切り分けるといった英国家庭の夕食の図は崩れていった。ホームステイ先を決めるにあたって、学校から簡単なアンケートがあった。特に食べられないものはありますか、とか、宗教上に制約はありますか、とか。何でもOK、宗教の問題は関係ないわと何でもござれの体制でいたものだからどんなものが出てくるのかと期待してしまったのだけど、まさか、ベジタリアンの家に割り振られるとは! こんななら、私は肉しか食べませんと申告しておくのだったがあとの祭り。

 もうそんな調子で、パスタだの、野菜と豆腐の炒め物だの、冷凍食品で植物性たんぱく質で作ったソーセージもどきだの、確かにあなたの家はベジタリアンなのねという内容。それでも息子の180センチ近くの身長を見ると、いったい何を食べているのか、本当は私がいないところで何か食べているんでしょうと勘ぐりたくなってしまった。

 朝は各自。そう、ホストマザーは朝から仕事だとかで、自分でパンを焼いて紅茶を入れ、冷蔵庫にあるものを買ってに食べてよいのだった。でも冷蔵庫からはジャムを出す程度。イングリッシュブレックファストって何だっけ?

 紅茶は確かによく飲むみたい。ティーバッグが定番のよう。葉っぱで入れているのは見たことがなかった。蒸らさないのかなあといつも思っていたけど、郷に入りては郷に従えとその方式で。

 近所の人によるとホストマザーは見栄っ張りとかで、台所の設備はけっこう揃っていた。ガスは6口。ドイツ製の大型の冷蔵庫、シャープのレンジ。でも、じゃがいもゆでるくらいの料理で、6口のコンロは必要かなあ。 簡単で済ませられる英国の夕食のパターンはうらやましいかも。パスタに付け合せ。パスタのお代わり山盛りでOKなんだもの。食器洗浄機もちゃんとあったけど、ディナープレート3枚、コップ3個、盛り合わせ用の皿2枚を洗うには、必要ないんでないかい? わたしにくれ!

 中学に通う息子の弁当は何かと見ていたら、出掛けに、彼はプラスティックバッグを持ってきて、パンや冷蔵庫にあるきゅうり、りんごをポイポイ入れておしまい。わお、これだったらウチの息子にもできる。すごい合理的。

私を待ち受けていたホストファミリー

 無事に空港からお迎えのタクシー運転手をみつけ、一路ホームステイ先へ。バスの方がはるかに金額が安かったけど、イングランド行きが始めてなのに加え、英会話は初級クラスの私に、さすがにバスをみつけて目的地までたどり着ける自信はなかったので、学校が斡旋しているお迎えを頼んだのだ。(当時は1万8000円でも高くないと思っていたが、いまは高かった。とほほ) ステイ先のケンブリッヂまでは空港から約1時間くらいだったかなあ。運転手は、ずっとサッカーの試合中継のラジオを聴いていたっけ。夕方5時ごろに空港を出たので、周囲は日が暮れ始めていた。プラス雨。やっぱりイングランドは雨だった。上空は晴れだったのに。

 それでも、暮れていく気配の中で初めて見るイングランドの景色は、道路の左右には広々とグリーンが広がり、まるで北海道のような広くのんびりした印象だった。11月というのにどうしてあんなに緑が鮮やかなんだろう。

 迷うことなくホームステイ先の家に到着。通りと番地がどこに行っても明記されているから、みつけやすい。一軒家かな、中世風かなと夢に描いていたが、本来のドアがみじめにもふさがれ、脇の勝手口からホストファミリーが「ハーイ」と現れたときに、現実がドーンと体当たりしてきた。とても体格のいい30台の女性だった。この人が私の「マザー」なのね!?!?!? 私より年下だけど。しかも中学生の息子付き。息子は身長180センチ近くの長身で、とってもハンサム!wow!

Img0336_1

中学の制服姿の息子さんとその母。私のホストマザー。

 

最初にホームステイ先を紹介されたとき、相手の名前は女性名だった。男性ひとり暮らしの家に紹介されても困るけど、てっきり、大勢の家族がいるような家をイメージしていたから、一家のご主人はどうしたのだろうと勝手に心配していたら、結果、その家は、母子家庭だった。確かに、留学斡旋のエージェントの記事にも載っていた。「アメリカと違い、こちらのホームステイは、ビジネスとして受け入れられています」。つまり、部屋代を生活費の足しにしているということだ。だから、異国から来た人も、お客としてちやほやしてもらえるわけではない。ビジネスの相手。そして、こうして稼ぐということは、多くの場合、生活が豊かではない家庭を意味する。

 私は、とにかく安い金額で、最低限の安全を確保できればよかったし、食事にもお金をかける気はなかった。イングランドの家庭がどんなものか、どんな食事をしているかに興味があったから、たとえそれがどんなクラスでも別にかまわなかったので、大きなダメージにはならなかったけど、アメリカチックな家族ぐるみのつきあい、みたいなホームステイを夢見ると、ショックを受けるかも知れない。それにしても、「ハーイ」と挨拶してすぐ「これがあなたのカギよ」と渡すのだから、相手もなかなか勇気がいることだろう。

 あとで聞いてみたら、その家庭では外国人は日本人しか受け入れていないとのこと。日本人だと盗難などのトラブルが起きないということらしい。英語学校のクラスメイトに聞いたら、ほとんどの人が学校斡旋、つまり私と同様にしてホームステイ先を割り振られていたけど、はっきり感じたのが、いわゆる先進国から来ている人は、イングランド人の家庭にステイしていて、後進国から来ている人は、中国人とかアジア系の家庭にホームステイしているのだなということ。留学しているのに、英語を話さない家庭にステイしているなんて何じゃ!と思ったけど、これが、お金の力というもので、ごく当たり前にイングランドの家庭にステイしていると思ったけど、そうじゃない環境で留学している人がたくさんいることを知った。

 家は3LDKと言えばいいだろうか。1階にキッチン、ダイニングルーム、リビングルーム、2階に3部屋。私が割り当てられたのは4畳半くらいの部屋。背の高めのベッド、クロゼット、チェスト、スタンド、テレビが全部。少々寒かったけど、床や家具の木目に、イングランドを感じたわ! 窓の桟は紅玉のような可愛い赤。朝になると鳥がやってきてチュンチュンと鳴く。鳥に疎い私は、スズメの仲間ということしかわからなかったけれど、ホテル暮らしでは感じ得ない、おだやかな生活感のある滞在に、満足していた。

Img0328

2007年2月23日 (金)

ホームステイに決めたのは

無謀にもホームステイを決めたのは、実行するたった一ヵ月半前。2004年の9月だった。その頃ダンナがメンタルの病気で会社を1年ほど休んでいて、実のところ、家の中は重々しい雰囲気。そんなときに、ダンナが、行ってこいと後押しをしてくれたのだ。保育園と小学校に通う子供がいたが、面倒もみると言う。おかしいことに、ダンナはメンタルの病気ではあるものの、その休みをとっている最中に一人でハワイ島などにいそいそと出かけており、海外旅行のよさを知って欲しいという。

 ときどきは海外へ行ってみたいよぉと話してはいたものの、突然その夢がかなうことになり、最初は戸惑った。でも、でも、いまじゃなきゃもうチャンスはないかも…それに行くなら10月か11月にしてくれと時期まで指定され、迷っていられる時間もなかった。

 でも、情けないことに、行きたい場所というのがなかったのだ。英語だから、アメリカ? イギリス? オーストラリア?  じゃあ行ってどうするか。英語を見たいのでも聞きたいのでもなかった。生意気なことに、考えるほど、探すほどに、自分の旅行の目的は、自分の英語を使ってみたいということにあるのを発見した。

 そうなると、即計画変更。英語の勉強を目的にする旅にすればいい。そう心を決めた私は、仕事の合間に、片っ端からインターネットで、語学学習と海外旅行を結び合わせるようなプランを探し始めた。

 探し始めて3日目くらいだろうか、何箇所か、英語の留学に関してのサイトをのぞいてみると、気になるエージェントが出てきた。いわゆる旅行代理店を通すと、キャンセル料を取られたり、本来の学校の授業料とは違う日本人向けの授業料が設定され、いろいろな面で二重価格になっていてとても割高につくという。フムフム、それはあり得るなと思った。気になるエージェントというのは、オフィスはイングランドにあり、本業は翻訳などで、片手間と言っちゃ失礼だが、至れり、尽くせりで世話をやくようなタイプではないものの、最低限のことはやってくれ、ネットで手配するためいろいろな費用が安いという。ホームステイ先も学校が割り振るということだった。学校もホームステイ先も何もかもドアトゥードアでやってくれる代理店も魅力だったが、自分でできて費用も安いなら拒む必要はない。自分で手配するのは、空港券くらい。どうしようかと迷ったが、何箇所かのホームページの記事と、エージェントの利用者の声の記事から、そのエージェント経由でプランを練ることにした。そこではアメリカやカナダなどのさまざまな英語圏の学校を扱っていたが、一番情報の充実しているイングランドで即決。

 まず学校を決めなくてはいけない。ホームページで、○月○日から○日まで、どのあたりの地区で何時間の授業をいくらくらいで受けたいと条件を入力して、学校をサーチする。選びやすいことに、2箇所が候補として挙がり、学校の評判のよさそうな方にした。こちらが決めれば、さっさ、さっさと事が運ぶ。入学やホームステイの申し込みはエージェントが代行してくれ、費用の支払いや入学許可証は学校と私とファックスやメールでの直接のやり取りだった。ホームステイ先からの手紙も送らなくてはいけなかったが、ちゃんと見本のフォームが添付されてメールで届き、そのまま活用。催促しないとなかなか来ないから注意するようにというエージェントからのアドバイスのメールがまめに入り、実際なるほど、いろいろな手続きの返事が滞る。この時点で、イングランドらしさを感じ出した。エージェント側から催促してもらってなんとかぎりぎり、出発に間に合った次第だ。その間、担当していた本の最後の仕上げの時期と重なり、いま思うとあの気が抜けないときによくもまあ頭が切り替わって手続きをしたと思う。でも、そういうときじゃなければ、かえってだらだらとして、決まるものも決まらないのかも知れない。

 そして、かかった基本の費用は、飛行機(NH便、ヒースロー直行)代が往復11万3000円、授業料(午前3時間×5日) 2万8000円、ホームステイ代(一週間、朝・夜食付き、シャワー)2万円、ヒースローからホームステイ先までの出迎え代1万8000円。その他もろもろはもちろんかかるが、とにかく、滞在費が格安で魅力的!! いまは燃料サーチャー税が加算されるようになってしまった。なかったあの頃が懐かしい。

 些細なことをたくさんエージェントに質問したが、最後の質問は、「ホームステイ先に手土産は必要ですか?」。返事は、「日本から来る方はそういうことを気にしますが、一切要りません」だった。こういうこと、ずばりと答えてくれて、けっこう頼りになるエージェントだといまだに思っている。

 

やり直しの英語自習を始めたワケ

  数年前のこと、当時私は都内のあるイタリアンレストランに仕事で通っていた。撮影や取材が進み、本の構成を立てる段階で、本のところどころに小さな記事を入れようということになった。その本の著者であるシェフから、当時の店づくりや料理づくりにまつわるおもしろい話を聞いていて、コラムとして使えると思ったからだ。問題はコラムのタイトルで、クッキングのポイントとか、コツとか、ちょっといい話とか、そういう言葉を考えたのだが、、イタリア料理の本なのに、クッキングのポイントといった英語ではなんかヘン。できたらイタリア語でキャッチフレーズのような、タイトルにできるいい言葉を捜したいと思った。シェフに相談すると、ちょうど店にイタリア人がいるから、彼に聞いてみようということになった。

 その人は20歳前後で、ピカピカの若者。本当は柔道の修業で日本に来ていて、あいている時間でアルバイトをしているとのことだった(カルミネさんのように、まず柔道で日本に入り、いずれレストラン経営をするのかしらんと思った)。私は直接質問しようにも、イタリア語は何もわからないから押し黙っていた。そういうものと思っていた。片言のイタリア語をしゃべれるシェフが、身振り手振りで質問し、彼も意味を汲もうと真剣な表情にやり取りをしていた。そのうち、彼は英語はしゃべれるということで、英語でこちらに質問してくれたのだけれど、私はほとんど何もわからず、質問もたいしてできなかった。必死になるイタリア人の彼は、片言の日本語で懸命にこちらの意図を汲み取ろうと質問したり、説明しようとしていた。

 あとで、彼は来日して、たったの3ヶ月と聞いた。あーっと思った。彼は、母国語のほか、英語を学び、来て日も浅い日本で、日本語を使おうとしていた。それにひきかえ私はなんだろう。たとえイタリア語も英語もわからなくても、コミュニケーションする気持ちを持てば、もしかしたら何かできたはずだったのに最初から放棄。また、彼がたどたどしく、でも必死で日本語を話そうとする姿をみて、日本人に外国語ができないのは、日本語が特殊だからと考えてきたことに、言い訳のしようがなかった。

 結局、採用できるような言葉やアイデアはみつからなかったけど、帰り道で、コミュニケーションしたい、話せるようになりたい、もう一度チャンスを!と強く思ったのを覚えている。それに、シェフは片言のイタリア語だけなのに、質問は伝わっていた。時にはいっしょに笑ってる。どうしてできるの? 言葉がわからないので何で通じるの? と驚きも感じた。2度と同じ思いはしたくない、ならば、共通語として最も役立ちそうな英語をもう一度勉強し、自分からきっかけを作れるようにしようという気持ちが湧き上がってきた。

2007年2月16日 (金)

よくそんな気になったものだ

 私の初めての海外旅行は、2004年のこと。もう3年前になる。いまさら海外旅行など珍しくもなんともないだろうが、40代になって初めて、しかもツアーではなく一人で個人手配でとなると、いま思い出しても、自分の勇気に驚く。無謀ともいえる冒険旅のこと、ちゃんと書いておこう。

 やりなおし勉強を始めた英語が、実際に使えるかどうかをどうしても試してみたくなって、いてもたってもいられなくなって、の決断だった。初めてなのだし、自分の英語のレベルが初級。話したことのあるネイティブは、英会話学校の先生相手で、しかもグループレッスン。そのレベルで英語を話すと言っても無茶なのだが、当時の私は、ほぼ独学で勉強している方向が正しいのか、コミュニケーションのツールとして機能しているのか(相手にちゃんと通じるのか)、根本的なことを知りたくなったのだ。

 「初めてで一人なんだから、ツアーにしときなよ」という家族からのアドバイスはもっともなものだ。でも、いくらツアーを探しても、自分の行きたいところをプランしたツアーはなかった。日本国内旅行でも、観光地や歴史的建造物には関心の低い私。いくら一般的に価値があっても、自分に興味のない美術館や海を見て、日本人に囲まれ、バスで移動していたら英会話なんかできるはずはないだろうと考えた。ちらっとチャンスがあっても、逆に、日本人の存在が邪魔かも知れない(何て恐れ多い言い方)。調べるほどに、自分の目的は、「英語を使う」ことであることが確信できた。気持ちも固まった。「私はホームステイしに行こう!」

最近のトラックバック

2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31