最終 パリ報告第7弾
!黄色信号のない街
私にとってとても印象深く残ったパリの印象の一つは、車用の信号に、黄色がないということだった。歩行者用の信号は普通なのだけど、車用の信号は、赤のバッテンがあるだけ。黄色と緑がない! 赤のバッテンが点灯するか消えるかという表示なのだ。最初見たときは何かの間違いかと思った。しかも歩行者は信号無視が当たり前の国。どうやって運転するのだろう。
よく見ると、車は歩行者に合わせ、しょっちゅう辛抱強く止まっている。たとえ歩行者用の信号が赤でも、歩行者がいれば車は止まる。車用の信号に緑がないというのは、進めはドライバー自身が判断することで、自分でよいと思ったときに進むから必要ないということのように取れる。そうなると、黄色信号は不要となってくる。ドライバーが自分で状況に合わせるのだもの、人がいれば止まる、いなければ注意して進む。シンプルだ。
車は歩行者にイライラとしないのだろうか。私もだんだんパリの街歩きに慣れて、躊躇せずに赤でも渡れるようになると、車のマナーのよさというか、歩行者を脅すような運転が皆無なことに気づいた。日本だと、歩行者が青で渡っていても、「さっさと行けよ」とばかりに車を歩行者に近づけるドライバーが多い。それが、パリでは必ず歩行者からけっこう離れたところで止まる。毎日毎日たくさん歩いて道路を渡ったけど、一度もいやな思いをしないて済んだ。
黄色信号がない街……日本では黄色はゆっくり安全を確認して進めということになっているけど、こういう街もある。もちろん何もかも理想的ではないかも知れない。たった一週間で弊害など十分わかるはずもないだろう。でも、車の側に良識があれば、黄色は余計なものになるかも知れない。実際にドライバーたちがどう思って運転しているかはわからないし、黄色信号がないことの弊害まで調べたわけではないからえらそうなことはいえないけどね。だけど、アナウンスのほとんどない地下鉄に乗って、日本って親切だけどおせっかいなところが近頃少々疲れるんだなあと思い当たった私は、こういうのもいいって少し思った。
!地下鉄のクラシック音楽
地下鉄の構内では、よく楽器演奏のパフォーマンスをしていて、さまざまな楽器を奏でる人々を見た。例えば、クラシックギター、弦楽器のセッション、CDのハープ伴奏をかけながらのオーボエ、どこかの民族楽器であろう鉄琴風の楽器などで、どれもクラシックの音楽なので気持ちがやわらかく、優雅になった。特にオーボエのアヴェ・マリアが地下鉄の通路を伝って聞こえてきて、改札に向かっているうちに音楽がどんどん大きくなって目の前に演奏者が現れたときは、眼がうるうるしてしまった。
最近とても強く思うのだけど、電気を使って作り出す人工的な音や、スピーカーを伝わって聞こえる音は、生のアコースティックな音に比べると、気持ちの休まり方が確実に違う。張り詰めた気持ちでパリを歩いていた私を、あの音はすっぽりと包みこんだ。地下鉄構内のアーティストたちは、素直な音で、人のあたたかさを表現し、包んでくれたんだと思う。
!パリの香り
自宅に戻って久しぶりに子供たちに対面したとき、彼らがすぐ言ったのは、「ママ、何かいいにおいがする!」だった。香水など何もつけていないので、何のことだろうと思ったら、どうやらパリのホテルの香りが、服や荷物に染み込んだらしく、スーツケースをあけたら、「このにおい、いいにおい」と喜んでいる。そういえば、パリではどこでも、甘酸っぱいような色っぽいような甘い香りが漂っていて、どこからやってくるのだろうと不思議だった。イングランドに住む友人の家も同じような香りがしたと思う。彼女から荷物が届くと、そんな甘くてやさしい香りも漂うからだ。
いまではすっかりその香りは抜けてしまったが、あの香りが恋しくて、手持ちの香水の中から似た系統のものを小瓶に移し、家の何箇所かに置いた。自分に付けると数分もしないうちに香りに酔って気分が悪くなってしまうのだが、家でかすかに香らせる分には、マダムな気分になれて悪くない。
!帰国後の私の変化
日本に戻ってもう一ヶ月近くになる。パリに行ったことで私の考え方が大きく変わったことが2つあり、それが一ヶ月もたったいままだ変わらないので、定着の兆しがあるのかもしれない。
笑われてしまうようなことだけど、そのうちのひとつが、お風呂好きになったということ。これまでお風呂が嫌いだったという意味ではないが、もともと面倒な方。ドラえもんのしずかちゃんのような風呂好きは理解できなかった私。しかし、一週間の滞パリで、私をリフレッシュしてくれたのは何よりもお風呂。ホテルに帰るとき、何をまず頭に思い描いたかというとお風呂。体をねそべらせてゆっくり温まる場所が、こんなに安らげる空間だったとは知らなかった! お風呂のありがたみが体の芯からわかった。日本に戻って以来、連日、長風呂だ。ただ、温泉を賛美するかどうかはまだわからない。熱いお風呂はすぐ湯当たりしてしまうというハードルがある。
もう一つの大変化は、食事の機会や内容を大事にするようになったこと。いまでもお昼はお茶漬けで済ます場合はあるけど、なるべく食いしん坊にならなきゃソンだと思うようになった。根っからの食いしん坊の自信はないけど、それでなくても量が食べられなくて、フランスでは鶏のエサのレベルだったような気がする。私って損(経済的とも言えるかも)な体質なんだ!と思わずにいられなかった。そして帰国してから日本で‘日本風‘フランス料理や‘日本風イタリア料理‘を食べたら、一緒に食べた人は量が少ないと文句を言っていたけど、私には涙が出そうなほどにちょうどよい量で、しかもおいしかった。日本でのレストランは、どこもレベルが何て高いんだろう。これは事実だ。そして、何て私に量がちょうどいいのだろう。ばんざーい。また、いくら贅沢なご馳走でも、ひとりで食べるとご馳走ではなくなる。エサになっちゃう。これが、今回の旅で最大に残念なことだったが、その分、一緒に食卓を囲む人がいる喜びを、いま毎日感じる。
どうせ食べるのなら、おいしいものを楽しい人と。機会は逃さず少々投資。パリで女一人ディナーを実行したから、日本で一人フレンチもたぶん行ける。怖いものがまた減ったぞ。
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